西を目指して建設を進めていたユニオンパシフィック鉄道、工事の進捗に伴って、建設基地となるも西へずれていった。その建設基地町 (End-of-track
town) としてその後も発展してきた町のひとつがシャイアンである
1887年、ユニオンパシフィック鉄道が建てた駅舎が残っている。1922年には、正面(道路から)向かって左側に食堂を建て増しし、その後1948年にはこの部分はオフィスに転用されている。1971年のアムトラック転換によって旅客列車は通らなくなり、現在はワイオミング交通博物館が管理している。
シャイアンにはユニオンパシフィックの他、バーリントン鉄道(Chicago,
Burlington & Quincy RR) も来ていたが、その駅舎は長くバス停車場として使用されていた。