ユニオンパシフィック鉄道の子会社
Oregon Short Line, Utha Central, Utha Northern, Utha Southern, Montana Union
ユタセントラル ユタノーザン ユタサザン モンタナユニオン
(Utah Central, Utah Northern, Utah Southern, Montana Union)
ユタセントラル鉄道は1870年その工事を完成し、ソルトレークシティー
- オグデン間の路線を完成させた。そして、1871年にはそれを南北両方向に路線延長するために2つのプロジェクトが認可された。ユタサザン(Utah
Southern)とユタノーザン(Utah Northern)である。
ユニオンパシフィック鉄道の狭軌鉄道を買収してユタノーザン鉄道(Utah & Northern Railroad)が設立されたのは1878年、オグデン
- フランクリン(Ogden,UT - Franklin,ID)の開通であった。1880年にはモニダ峠(Monida Pass)を越えて、モンタナ州レッド・ロック(Red Rock)に達した。1886年にはノーザンパシフィック鉄道との間にビュート
- ヘレナ間の路線を共同建設し、新会社モンタナユニオン(Montana Union)で運営する取り決めがなされた。ビュートより ノーザンパシフィック鉄道の本線上のガリソン(Garrison,MT)までの路線を建設して、ノーザンパシフィック鉄道への運転権を得てヘレナに乗り入れ、同時に路線の標準軌化も行われるものであった。しかし、ビュートに第二の北部大陸横断鉄道・グレートノーザン鉄道の前身、マニトバ鉄道(St.Paul,
Minneapolis & Manitoba)がその傘下に組み込んだモンタナセントラル(Montana Central)鉄道が、ヘレナからの路線を1888年に開通させてからは、鉱山会社の経営者は好んでこちらを利用するようになり、モンタナユニオン経由の貨物扱いは思うように延びなかった。このモンタナユニオン鉄道のルートは後にノーザンパシフィック鉄道のビュート経由の新線の一部となり、旅客列車の多くはこちらのルートを経由するようになった。