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九龍站
九広鉄路
香港埠頭
香港鉄道博物館
京広線
北京―漢口間
平漢鉄路として、1906年4月開通

武漢―広州間
粤漢鉄路として、1936年4月開通
武漢長江大橋 1957年10月開通

九広鉄路
1911年開通
英国は、1897年、広東=九龍感鉄道の敷設権を中国より獲得、1907年3月に英国・中国間に広九鉄道借款契約が成立した。建設は、同年7月両方向より同時起工され、1911年には華段(大沙頭=深セン)、英段(九龍=深セン)の全線が開業した。九龍側の始発駅は尖沙咀(Tsim Sha Tsui)駅は遅れて1913年に完成している。
南方圏の交通(昭和18年、渡辺源一郎著)によれば英華両段は連絡協定により直通列車の運転を行っており、1938年の時点では、直通急行列車2往復、直通列車3往復、英段折返し8往復が運転されていたが、1941年12月から1945年8月までの日本占領時期は深センでの分断運転となっていた。
戦後は直通運転となったが、1949年10月 中華人民共和国の樹立により再び列車の直通はなくなり、1979年になって復活した。
九龍側では、1975年11月30日を以て尖沙咀駅が廃止され、始発駅は紅カン(Hung Hom)駅となった。1983年には羅湖(Lo Wu)までの英段全線が電化された。
また、1911年12月には狭軌の粉嶺支線(粉嶺=沙頭角 10粁)が開業したが、この支線は1928年4月には廃止となっている。

中国に中華人民共和国が誕生し、1949年10月14日から1979年4月までは、九広間の直通運転は中止されていた。九龍では始発駅が紅カン(Hung Hom)站となり、尖沙咀は站廃止され、跡地は時計塔を残して再開発された。
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九龍では始発駅が紅カン(Hung Hom)站となり、尖沙咀は站廃止された。跡地は時計塔を残して再開発された。
左:新築当時の写真(香港鉄道博物館) 右:時計塔(2014年8月撮影)
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九広鉄路英段のロゴ

1925年当時の時刻表

香港鉄道博物館にて
2014年8月撮影
九広鉄路 広東駅 Guide to CHINA, JapaneseGovernment Railways, 1924
欧州航路
九広・京広鉄路
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