東海州には貨物ヤードと機関区が置かれ(左写真:鉄道ジャーナル 1973-4 より)、街の中心からはずれていたので、旅客用には別に海州駅が設置されていた。
新院駅はコンクリート製の給水塔を完備し、下聖への分岐の駅であった。貯水池の関係で移転し、旧駅周辺には橋脚が残っている。
(右写真:鉄道ジャーナル 1973-4 より)
トンネル跡
橋脚あり
橋脚あり
朝鮮鉄道黄海線は762mmのナローゲージで建設され、昭和5年に沙里院からの路線が東海州に到達した。東海州には、機関区や貨物列車用の大きなヤードが併設され、此処を中心に、昭和6年には龍塘浦(海州港)、昭和7年には延安(昭和6年)経由で土城、昭和8年には街の中心地に海州駅を延長開業し、さらに昭和12年にまでには甕津にまで伸びている。
沙里院からの狭軌線は、動乱後、標準軌に改軌されたが、昭和19年に開通した 沙里院=下聖間の標準軌線が新院経由で延長され、長寿山経由の路線は貯水池に沈み廃線となっている。鶴{山見}から東海州へは途中トンネルを含む勾配区間であったが、現在は東に大きく迂回するルートに付け替えられている。