1906(明治39)年4月3日に開通した京義軍用鉄道は明治44年11月1日には京義本線となり、新義州=安東間の鴨緑江鉄橋も完成し、日満をつなぐ大動脈となっていった。開通時、鴨緑江左岸に建てられた粗末な駅舎から新義州駅は始まり、1908(明治41)年11月、その後の荷扱所駅の場所に移転した。国際鉄橋が開通した1911年11月には現在の本線上に洋館3階建の様式駅舎が完成し、1階を駅、2−3階を新義州ステーションホテルとして使用が始まった。
国際鉄橋開通で京義本線の終点が安東駅となると、新義州駅はその本線上に移転し、旧駅は新義州荷扱所駅と改称され、新義州発着の貨物を扱う貨物駅となった。1924(大正13)年6月、新義州荷扱所=安東間に区間列車の運転が始まり旅客扱いを再開、1936(昭和11)年には新義州江岸駅と改称され、1943(昭和18)年12月、新義州駅構内に統合されて駅としては廃止となった。
京仁線用につくられた汽動車(蒸気動車)の ジハ1型は、シグイ型機関車+ハ2型客車に分離され、新義州江岸=安東間に区間列車に投入された。
朝鮮旅行案内記(朝鮮総督府、昭和9年)には、汽動車運転の記載がある。別冊一億人の昭和史1・朝鮮によれば、
16mmフィルムに収められたシグイ型の走行シーンがあるらしい。
米国発行のAMS地図での新義州の鴨緑江鉄道橋は、昭和18年開通の新橋、爆破前の旧橋、そして、第二次大戦終戦末期頃から建設されたという2ルートの仮迂回橋が描かれている。現在はつながっていない3本の橋は、鴨緑江断橋、沙河鎮鉄路橋跡、鴨緑江浮橋跡として痕跡が残っている。