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Brenner/Brennero
ブレンナー
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Innsbruck
Brixen
オーストリア・イタリア国境のブレンナー峠は、ブレンナー線開通当時は国境ではなく、ヴェローナの北、アラ(Ala)までがオーストリアであった。1858年、ドイツのローゼンハイムからクーフシュタインまでのバイエルン王立鉄道が開通し、同年、そこから、インスブルックまでの路線が開通した。イタリアのヴェローナから北にボーゼン(Bozen, Bolzano) までの鉄道が1859年に開通していた。技術者カール・フォン・エッツェル (Carl von Etzel, 1812-65) が指揮をとり、インスブルック−ブレンナー−ボーゼン間の南部鉄道(Südbahn) の建設が始まり、1867年全通した。
第一次大戦の結果、南チロルはイタリアの領土となり、オーストリア・イタリア国境はブレンナーに変更された。以来、入出国管理・通関がここブレンナーで行われるようになった。シェンゲン協定により、現在では入出国検査は行われず、機関車の交換のみが行われている。
1999年には、峠部分の Pflersch トンネルが開通し、ヘアピンカーブが解消されている。
ブレンナー駅 2012年8月
訪問時、オーストリア部分は長期工事のため鉄道は完全運休でインスブルック・ブレンナー間はバスの連絡であった。駅舎側ホームは、優等列車のバス連絡に使用されていた。そのホーム上にはブレンナー線の建設指揮に当たった、カール・フォン・エッツェルの胸像がある。オーストリア方面、イタリア方面ローカル列車は島ホームの両端から発着していた。島ホームの中央には事務所が置かれ、かつての入出国管理が行われていた時の面影が残っている
オーストリアハンガリー帝国
1911 Baedeker より
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国境の標石
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ロンドンからオーストリアへ
欧州大陸
ベルリンから欧州各地へ
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