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アレクサンドロ クヤフスキ
ワルシャワ(Warszawa) と フィドゥゴシュッチュ(Bydgoszcz) の路線が 1862年に開通した時にプロイセンとロシアの間の国境のロシア側に設置されたのが、Białe Blota駅で、後に改称されて アレクサンドロフ(Aleksandrów) 駅となっている。1867年には温泉保養地のチホチネク(1867 Ciechocinek -> 1914 Ziechozinck -> 1918 Ciechocinek -> 1941 Hermannsbad ->1945 Ciechocinek)への路線が開通、1895年には、現存の駅舎が建設され、国境駅としての設備を整えた大きな駅であった。ワルシャワ・ウィーン鉄道はロシアの鉄道であったが1435mmの国際標準軌であったの、客車は直通しており、入国検査はロシア行はアレクサンドロフにえ、プロイセン行はトルンで行われいた。
第一次世界大戦の戦後処理ではベルサイユ条約によって、ポーランドの独立と西プロイセン及びポーゼン州のポーランドへの割譲が決まった。その結果、1920年からこの駅は国境駅ではなくなってしまったが、保養地として人気のチホチネックへのワルシャワからの直通列車車の列分割駅であった。しかもそれが1,2,3等客車であったのだから、重要な中間駅であった。しかし、1895年に国境駅として建設された駅舎は、その機能は不必要となった現在は、大きな駅舎のほんの一部のみがつかわれているに過ぎない。
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1895年に建設された駅舎は国境の機能を果たすために大きな建物であった。
絵葉書 上左・右 fotopolska より

巨大な駅舎のほぼそのまま残っているが、駅として使われているのはほんの一部分である。
駅舎の正面側には2番ホームがあり、かつては、ここから Ciechocinek 行の区間列車が発着していたのだろうか。
写真: 2012年8月
ワルシャワから欧州各地へ
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1862 Białe Blota ->1867 Trojanowo ->1874 Aleksandowo ->1890 Aleksandró Pograniczny ->1914 Alexandrow -> 1918 Aleksandró ->1939 Alexandrow -> 1943 Weichselstîdt ->1945 Aleksandrów Kujawski
Kutno
Torn
Aleksandrów Kujawski
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ワルシャワから欧州各地へ
欧州大陸
ベルリンから欧州各地へ
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