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ハウプキ
 
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ドイツ
ズデーテン地方
ポーランド
チェシン地方
フルチーン地方
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国境の橋。チェコ側からポーランド側を望む。(2015年)
1682年にバロック様式に改築された国境を守った城、現在はホテルになって残っている。
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Bohumin
Oppole
鉄道路線図
ズデーテン
ベーメン・マーレン保護領
1847 Annaberg 1940 Ruderswald 1945 Chałupki
Chałupki
アナベルク駅は、ドイツの端の駅として、時代とともに、オーストリア、チェコスロバキア、ポーランドと変遷し、第二次大戦末期にはとうとうドイツの一部となったオーデルベルクと対峙し、現在は、チェコのボフミンと対峙しているポーランドのハウプキ駅となっている。(2015年訪問)
1847年5月1日、プロイセンのヴィルヘルム鉄道(Wilhelmsbahn)は、ラティボル(Ratibor)からアナベルク(Annaberg)までの路線を開通させ、1848年9月1日には、オーストリア国境を越えて、オーデルベルク(Oderberg)へ路線を伸ばし、皇帝フェルディナント北部鉄道と接続した。
第二次大戦前、このルートは、ベルリンから、シュレジエンを通過し、オーデルベルク経由で、ウィーンやブタベスト、クラクフ経由でリヴィウに向かう、長距離国際列車のメインルートとしてドイツにとって重要な路線となっていった。(下:1914年時刻表)
アナベルクの西に隣接したフルチーン地方は、第一次大戦以前は、プロイセンのシュレジエンの一部になっていたが、1920年のベルサイユ条約ではチェコスロバキアの領土とされた。アナブルクから、フルチーンへの鉄道が、プロイセン領土であった頃に計画、建設が開始され、1917年の時刻表には試運転中の路線として掲載されていた。1920年までには正式開業に漕ぎ着けなかった。1938年のミュンヘン会談で、ズデーテン地方を併合したドイツは、フルチーン地方をズデーテンではなく、シュレジエン地方に組み入れ、再びドイツ領となった。しかし、この幻の鉄道は全通することなく、未成の鉄道として、現在も痕跡をたどることができる。(右:1917年時刻表)
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ワルシャワから欧州各地へ
欧州大陸
ベルリンから欧州各地へ
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