オストロウ(Ostrau)は、モラビア地方北のはずれに位置し、シュレジアの南端と接する石炭産出の街であった。皇帝フェルディナント北部鉄道(k.k.priv Kaiser Ferdinands Nord-Bahn)は、1847年5月1日、オストロウを通ってオーデルベルク(Oderberg)までの路線を開通させた。
駅名は、開通当初のオストロウ(Ostrau) から、モラビア地方を冠した Mahrisch Ostrau に変わり、チェコスロバキアの時代になっては、Moravska Ostrava となり、1939年、ドイツの保護領となって 1939年からは再び、Mahrisch Ostrau となった。戦後は、チェコスロバキアに戻って、オストラバ中央駅(Ostrava Hlavni nadrazi)と変遷している。1960年代になって、駅舎はモダンなデザインに改築され少し西に移って、現在の所に落ち着いている。