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太平洋横断航空路
ジェット機移行前
太平洋横断航空路(1)
北米大陸
ジェット機移行の直前
米国の航空機会社がレシプロ機の開発で競い合っているなか、英国の航空機会社ではジェット機の開発に力を注いでいた。英国ビッカース社製バイカウントはターボプロップ機の一番機で中距離向け、1953年ロンドン-パリ間にBEA(英国欧州航空)が就航させた。推進力はプロペラによるが、タービン出力をプロペラ駆動軸に伝達して推進力を得る方法で、ジェット発動機の一種である。長距離型のターボプロップ機ではブリストル社製ブリタニア(客席90、巡航速度600km)が誕生し、1957年ロンドン-ニューヨーク間にBOAC(英国海外航空)が初めて就航させ、カナディアンパシフィック航空も東京-バンクーバー間に就航させている。しかし、長距離路線のジェット化も間近に迫り、ブリタニアはあまり成功とはいえなかった。プロペラのないジェット機の先駆者は同じ英国のデハビランド社製コメット(客席101、巡航速度872km/h)で、1952年BOACにより運行開始した。しかし、就航直後の3件の墜落事故で信用を失い、ジェット機としては後発のDC-8(1958年)やB707(1957年)に大きく遅れを取ることとなった。
ジェット化直前の太平洋横断線では、日本航空がDC-7CとDC-6Bを使用して、シアトル・サンフランシスコ・ロサンゼルスへ、ノースウエストがDC-7Cとスパーコニーでシアトルへ、パンナムがDC-7Cとストラトクルーザーで、サンフランシスコ・ロサンゼルスを結び、英国海外航空と英国系列のカナパシはブリタニアを使用して、それぞれサンフランシスコ(BOAC)、バンクーバー(CP)を結んでいた。
レシプロ機の究極
DC-6の大型版DC-6Bとストラトクルーザーに対抗するために ロッキードはL-1049スーパーコンステレーション(スーパーコニー)の開発を始め1951年に完成させた。大型化の影響で飛行性能はむしろL-0749よりも劣っていたが、1953年からは発動機をターボコンパウンドに変更したL-1049Cを登場させて十分な力を持つに至った。ダグラスの次の機種DC-7も同じターボコンパウンド発動機を採用している。ターボコンパウンド発動機は、レシプロながら排気タービンによって得られた出力をプロペラ駆動軸に伝えるもので、レシプロとジェット発動機を組み合わせたような構造で、レシプロ発動機の革命的発明と言われた。そしてついに究極のレシプロ機、ロッキードL-1049G(スーパーG)とダグラスDC-7C(セブンシーズ-七つの海)を誕生させることになる。どちらも巡航速度は550km/h前後であるが、スーパーGは燃料タンク増設型の場合、航続距離が9400kmに、そしてセブンシーズは主翼の変更と発動機出力の増加で、スパーGに比べてわずかながら飛行性能向上と9600kmの航続距離を達成している。スーパーGの初飛行はノースウエスト・オリエント航空のシアトル-東京線で1955年、セブンシーズはパンナムが大西洋線で1956年に就航させている。。
太平洋横断航空路(2)
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DC-7C JAL
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外国旅行案内
日本交通公社 1959
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Britania BOAC
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B707 PAA
DC-8 DL
絵葉書
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