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関西本線
四日市
塩浜貨物
名古屋
柘植
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四日市港
関西鉄道は、旧東海道沿いに、草津―四日市間の鉄道を目指し、明治22(1889)年12月15日、草津―三雲間、そして、明治23(1890)年12月25日に、草津―四日市間を全通させた。四日市では、熱田行きの汽船で東海道線に連絡し、また、隔日運航の横浜行きの汽船に乗り換えることもできた。関西鉄道は将来の発展のため、桑名―名古屋間の路線建設を出願し、明治26年に免許下付となった。
明治27(1894)年7月5日には四日市―桑名(仮)まで、そして、揖斐川、木曽川の二大大河に架橋して、名古屋(愛知)ー桑名ー四日市ー草津間が開通したのは、明治28年5月24日であった。明治31年11月18日には、浪速鉄道(後の片町線)経由で大阪に乗り入れを開始し、名古屋―網島間が本線となった。更に、明治33(1890)年6月6日には、湊町―奈良間の大阪鉄道と合併がなり、名古屋―湊町が本線となり、現在の関西本線の路線となった。明治40(1897)年10月1日、関西鉄道は国有化され、関西本線は国の東海道線重視の施策によって、実質的にローカル線になってしまった。
駅正面(2008年5月30日)
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四日市と東京・横浜を結ぶ航路は、日本郵船会社の前進、郵便汽船三菱会社が運航を開始し、明治8年には駅逓寮の命令航路となった。明治15年には、共同運輸会社も同区間を受命、両社は激しい競争状態になっていった。明治18年、ついにこの2社が合併して日本郵船会社となり、改めて逓信省命令航路として、品川丸(1,344トン)、住ノ江丸(1,425トン)、北海丸(712トン)が就航した。横浜―四日市直航の命令線が4日に1回、半田、津に寄港する私設線が4日1回が運航していた。明治39年以降は、命令満期で私設航路として継続し、明治42年3月限りで廃止となった。
四日市―横浜・東京航路
新興の四日市 1935年
”四日市ぶらり”より
<近鉄四日市駅の路線切り替え>
 伊勢電鉄が部分開業を重ね、1924年に津ー四日市間で路線を開業した。四日市は、国鉄四日市駅前にあり、ここで三重鉄道の湯の山方面、八王子方面と接続していた。1929年には、伊勢鉄道は桑名まで延長され、三重鉄道とは諏訪駅での接続となり、四日市―諏訪間の線路は伊勢鉄道に譲渡された。1938年に関西急行電鉄によって開業した桑名ー名古屋間と接続され、現在の近鉄名古屋線の路線が出来上がったが、四日市付近では旧曲線の改良のため、昭和31(1956)年9月に近鉄四日市駅経由の新線に切り替えられている。
日本の玄関
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名古屋港
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