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Sretensk
Slyudyanka
Baikal
東清鉄道
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1905年ドイツ時刻表ではタンホイでの船車連絡の様子が示されている。
西方面、バイカル湖岸鉄道は、ミソバヤ - イルクーツク間の路線で、最初の開業は1899年、イルクーツク - バイカル間68kmであった。バイカル - ミソバヤ間は砕氷船での船連絡とし、船内に3条の線路が敷かれた「バイカル号」と乗客専用の「アンガラ号」の2隻が就航した。しかし、冬季は連絡船の運航ができず、氷上にレールを敷いての運転だったが、氷の薄い時期はどちらも運行することができなかった。
急いで建設がすすめられた残りの区間の開通は ミソバヤ - ミシカ間 1901年4月21日、ミシカ - タンホイ間 1902年4月1日、タンホイ - クルツク間 1904年4月1日、クルツク - バイカル間 1904年9月18日であった。当初、ミソバヤで船車連絡が行われていたが、1902年にはタンホイに接続駅が移り、1905年10月16日の直通列車の通常運転開始で、連絡船の使命は終わった。 
東方面、ザバイカル鉄道は、ミソバヤ - スレチェンスク間 1105km の路線を1900年に開業、バイカル - ミソバヤ間の鉄道連絡船と連絡、1903年には中国東北部を通過する東清鉄道を経由してシベリア鉄道が全通することとなった。ザバイカル鉄道の終点だった スレチェンスクの手前、クエンガから分岐し、ハバロフスクまでのアムール鉄道を経由するソ連領内だけを通るシベリア鉄道のルートが開通したのが1916年であった。
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上左:砕氷船「アンガラ号」が保存公開されている。その資料室にはバイカル号の模型や写真も。
上右:1905年ドイツ時刻表から、
    大正3年シベリア路線図
上:ミソバヤ駅での連絡船施設の地図 (子供鉄道、資料室」(2017年8月訪問)
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欧亜連絡
シベリア鉄道
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Baikal Ferry
バイカル湖連絡船 
Misovaya ミソバヤ