北陸旧線(柳ヶ瀬越え)
疋田駅ホーム跡 2004−10
今は児童館の敷地になっている。
刀根隧道 要石 92−08
隧道自身は道路拡幅で無くなったが、要石だけは残されていいる。
小刀根隧道 2004−10
明治14年の建造で、現存する鉄道用隧道では3番目に古い。
柳ヶ瀬隧道 (東口) 2004−10
明治17年の建造で、我国初の1000b超えのもので建築史上重要である。
額は鉄道卿伊藤博文によるもの。本物は長浜鉄道資料館に保存されている。
柳ヶ瀬隧道 (西口) 2004−10
中之郷駅 92−08
余呉町役場付近のホーム跡に駅名板がつけてある。
柳ヶ瀬駅 2004-10
バス停が旧ホームの上に立っている。(旧下り線)
敦賀
疋田
刀根
雁ヶ谷
中之郷
木之本
柳ヶ瀬
1号(柳ヶ瀬)
2号(小刀根)
3号(刀根)
4号(曽々木)
1884(明治17)年、当時日本最長の柳ヶ瀬隧道の完成により、大垣・敦賀間の鉄道が開通した。北陸方面には、1896(明治29)年の福井延長を皮切りに順次延長され、大正2年の青海・糸魚川間の開通をもって北陸本線の全通となった。しかし、柳ヶ瀬隧道を頂点として25パーミル勾配が続くこの区間は、北陸本線中の最大隘路として早くから改良を望まれていた。特に柳ヶ瀬隧道は単線片勾配で、蒸気機関車の煙が機関士の生命をも脅かす危険区間で1933(昭和8)年には排煙装置が設けられたが、根本的解決となる深坂隧道経由の新ルートは1938(昭和13)年着手され、戦争の影響で完成するのは1957(昭和32)年となった。この時点で新線は疋田・敦賀間の鳩原信号所で在来線に合流していたので、この区間には依然として25パーミル区間が存在していた。これを改良するためにループ線での上り線が昭和38年に開通した。新線の開通とともに、木之本・敦賀間の在来線は「柳ヶ瀬線」というローカル線となり、更にループ線の開通と同時に敦賀・疋田間をバス連絡とし、列車は疋田・木之本間となった。しかし、中之郷以外の駅は乗降客が著しく少なく昭和39年5月2日をもって鉄道営業が廃止された。一方新線の方では、新深坂隧道が完成して木之本・敦賀間の完全複線化が完成した。
刀根駅
スイッチバック式の駅だった。
雁ヶ谷駅
柳ヶ瀬隧道東口付近にあった。