a038012.jpg
a038011.gif
a038010.jpg
a038009.gif
a002012.gif
a002012.gif
中央線 
慶州-永川
永川
慶州-1
嶋潭−竹嶺
永川
慶州
慶州-永川
廃線跡・鉄道史跡
中央線
京釡・京義・安奉経由
朝鮮鉄道略図
朝鮮北部・浦塩経由
欧亜連絡
a038008.jpg
a038007.jpg
a038006.jpg
a038005.jpg
a038004.jpg
a038003.jpg
@
A
B
C
D
E
F
6
4
5
1
3
7
2
東海中部線  松浦‐西岳 1990.-8.17
 松浦駅から乾川駅東南方2km迄は現在線に隣接して旧線跡が確認でき、ほとんどの川には橋脚と橋台が残っていた(写真1)。乾川駅東南方2km地点から旧線は現在線と離れて東へ向かって、慶州付近まで現在線とは全く離れた所を通っていた。その部分は現在線と国道との間には跡形が確認できなかったが、国道付近には空き地として20m程が残り、その先田圃に変わった部分を挟んで大川手前200m程には築堤と橋台が残っていることが確認できた(写真2)。しかし大川対岸の部分は接近の手段がなかったことから調査が出来なかった。国道を少し歩いて、現在線毛良駅付近の橋を渡って大川の対岸へ行くと旧光明駅跡に着く。旧線跡は北方から未舗装の小道となって旧光明駅に進入していた。しかし駅跡は桃畑となっておりその跡形はなにも確認できなかった。旧光明駅の構内がおわる地点には小さな川を渡るための橋の橋台と橋脚が残っていた。この橋は川の大きさに比べてたいそう規模の大きな橋であったようである(写真3)。そしてその先にももう一ヶ所小さな橋台が残っており(写真4)、更に先は2km程の砂利道となって続いていたが(写真5,6)、それ以外に構築物は確認できなかった。それに続く部分は砂利道からコンクリート舗装の道になり、2km程して国道と交差した。この区間には一ヶ所川があったが橋台などは作り替えられていた。国道を越え、一旦は現在線に吸収された路盤(写真7)は程なくして右にそれ、出っ張った山の東側を回り込む区間の旧線は完全に田圃に姿を変えていて、その跡形は何も確認できなかった。旧線は更に真直ぐ北上し、現在線に最も近付く辺りに西岳駅を置いていたが、この辺りも完全に田圃として整備されておりその面影は何も無かった。
a038002.gif
a038001.gif
a015001.gif