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中央線(京慶線)

 中央線は朝鮮鉄道12年計画以降に計画された新規線で、1936(昭和11)年から清涼里、永川の南北両方から着工された。着工当時は中央線と称したが、1938(昭和13)年の永川-友保営業開始に際して京慶(南部)線と改称された。本来中央線は朝鮮半島南部第二の幹線として計画されたもので、京釜線の迂回線として京義・京元線に結ぶ中国大陸への輸送力強化並びに沿線の資源開発を目的としていた。
 路線は清涼里?永川を新設し、永川で既に朝鮮鉄道慶東線を買収して国有鉄道となっていた東海中部線に結ぶものであった。もともと朝鮮鉄道慶東線は京釜線大邱駅から東海岸の鶴山-蔚山を結んでいた狭軌鉄道であった。(蔚山-釜山鎮ハ国有鉄道東海南部線トシテ新設サレテイタ。) そして京慶南部線友保-永川の開通に伴って東海中部線大邱?鶴山は路線名改称が行なわれ、大邱-永川が大邱線、永川?慶州を含む友保?慶州が京慶南部線、慶州-鶴山が東海中部線となった。このうち東海中部線永川-慶州の改軌は重要幹線である京慶線に編入されるために路盤の大部分を新設する方法で行なわれ、特に永川付近と乾川-慶州は在来線とは全く離れた位置に建設された。解放後は中国大陸への輸送経路としての使命にかわり、太白山脈に産する石炭の輸送経路として産業線と呼ばれて清涼里-栄州が電化されている。中央線はもともと重要幹線として設計建設されたため開通後の区間変更を伴う路線改修はほとんど無いようであるが、嶋潭-竹嶺が忠州ダム建設のため1984年12月30日移設された。なお路線名は1945年10月1日に京慶線から中央線に変更された。

新規開業区間開業年月日
 区 間   延長km  開業年月日  
永 川-友 保  40.1  昭和13.12.-1  京慶南部線トシテ開業
友 保-慶北安東  48.9   昭和15.-3.-1  京慶南部線トシテ開業
慶北安東-栄 州  38.7   昭和16.-7.-1  京慶南部線トシテ開業
栄 州-堤 州  62.3   昭和17.-4.-1  京慶線全通
堤 川-原 州  46.8   昭和16.-7.-1  京慶北部線トシテ開業
原 州-楊 平  55.9   昭和15.-4.-1  京慶北部線トシテ開業
楊 平-東京城*  52.5   昭和14.-4.-1  京慶北部線トシテ開業 清涼里→東京城改称:昭和13年5月1日

朝鮮鐵道慶東線買収区間開業年月日および改軌年月日
 区 間   延長km  開業年月日   区 間   延長km  改軌年月日
大 邱-河 陽  23.0  大正 6.11.-1  大 邱-永 川  38.4  昭和13.-7.-1
河 陽-浦 項   79.6   大正 7.11.-1  永 川-慶 州  37.5   昭和14.-6.-1
浦 項-鶴 山   2.0   大正 8.-6.25  慶 州-蔚 山  39.3   昭和11.12.-1
西 岳-仏国寺   13.3   大正 7.10.31  慶 州-浦 項  33.5   昭和20.-7.10
仏国寺-蔚 山   29.9   大正10.10.25
   全線ノ買収ハ昭和 3.-7.-1




























中央線 
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