Stolpce -Negoreloe
ストルプス - ネゴレロエ
ポーランド - ソ連国境
1920年のベルサイユ条約の発効の時点では、独立ポーランドの国土のドイツ側国境は確定していたものの、東部国境については後日決定するとされ未確定であった。イギリスの外務大臣ジョージ・カーゾンによって提唱されたカーゾン線はポーランドにとっては受けれ難く、ソビエトとの間に武力衝突が勃発し(ポーランド・ソビエト戦争)、その講和条約(リガ条約)が1921年に結ばれ、カーゾン線より200km程東にソ連との国境が設けられることとなった。ワルシャワとモスクワを結ぶ幹線の国境はストルプス(Stolpce, Polan) - ネゴレロイエ(Niegoreloje) の間に設定され、両駅間は、広軌、標準軌の両方のレールが敷かれ、ポーランドからの列車はネゴレオイエ駅、ソ連からの列車はストルプス駅で列車の乗り継ぎが行われていた。
しかし、1939年のソ連とドイツによる占領がカーゾン線を境にそれぞれ行われ、戦後のポーランド-ソ連国境も、ほぼ、カーゾン線に沿っている。
Rozklad Jazdy 1935
北急行 ネゴレロエ行き703列車、ストルプス発704列車が見える。
国境通過地点
当時の写真から見ると列車の走っている線路が広軌、他方が標準軌で、単線並列タイプだったようである。
ネゴレロエ駅
ストルプス駅
ポーランド時代のストルプス駅
ストルプス-ネゴレロイレ間の地図 1936-1938発行
欧州旅行案内 1927年 より