gdansk_1938_kokoszki_gdynia_372.jpg
b536013.gif
b461007.gif
b472003.gif
Poland Corridor
ポーランド回廊
連絡鉄道廃線跡
ベルサイユ条約でドイツ領土が分断され約72qの海岸線を含む”ポーランド回廊”がポーランドの領土とされた。ダンチヒ(Danzig)は自由都市として、ドイツにもポーランドにも属さない国際連盟の管轄する地域となったが、港湾使用のポーランドの自由度は制限されていた。1920年にポーランドはポーランド回廊の海岸にグダニア(Gdynia)港の建設を開始したが、グダニア(Gdynia)とポーランドを結ぶ鉄道は、ドイツまたはダンチヒ(Danzig)を通るものであった。
ポーランド政府は、ポーランド回廊を通りグダニア(Gdynia)をつなぐ鉄道の建設を開始し、1921年、ココスキ(Kokoszki)とグダニア(Gdynia)を結ぶ鉄道が完成した。
さらに1930年、シレジア地方の石炭の輸出のためにグダニア(Gdynia)とのルート確保が必要となり、直結鉄道の建設がなされ、複線の幹線設計の新路線(石炭幹線)が開通、これにより、ほぼ、同じところを通る ココスキ・グダニア線 は発展的に廃止となった。
b536012.jpg
b536011.jpg
b536010.jpg
b536009.jpg
Gdynia
b536008.jpg
1930年に廃線となったGdynia = Kokoszki線跡には、途中のコンクリートの橋に、1920-1921 にかけて建設された印が刻まれている。Kack の街には、道路となった旧線脇にかつての駅舎両脇あった鉄道建物が残っている。 2015年8月撮影
b536007.jpg
b536006.jpg
左: 旧線上に残る Kack旧駅建物と、旧線時代の写真との比較。
右:石炭幹線上に移された、Kack 駅舎(新)
Kursbuch (1927年 ドイツ発行) に記載されている、旧線時代のルート
b536005.jpg
b536004.jpg
Coal Trunk Line
Gdansk
b536003.jpg
Coal Trank-line
b536002.gif
b536001.gif
ワルシャワから欧州各地へ
欧州大陸
ベルリンから欧州各地へ
b002001.gif