Marin Station in Gdynia
グダニア港駅
Emigration Museum として、再活用されている グダニア港船客ターミナル 2015年撮影
右:MS_Pilsudski が停泊中の船客ターミナルと連絡列車 1936年頃 博物館掲示 より
下:Gdynia America line のポスター (博物館掲示より)
Official Guide of the Railways and Steam Navigation Liners of the US, 1936 May より
6/2, 1936 MS_Pilsudski の Gdynia 出航の予定になっている。
グダニア港駅・船客ターミナル
ベルサイユ条約によりポーランド回廊で北海に面した海岸線をもったポーランドは、小さな村であったグダニアに港の建設を開始し、1923年に部分開港、臨時の軍港からはじまり、石炭積み替え設備の拡充、1930年頃から一般貨物扱いのために港湾・付帯設備の拡張がおこなわれた。
1933年には、鉄道と船客ターミナルの設備が完成して、グダニア港駅が完成した。
グダニアからの航路は、1930年に設立されたグダニア・アメリカ・ラインが運行し、コペンハーゲン経由で、ニューヨークとハリファックスを結ぶ北米航路のほか、南米航路も運行されていた。
1939年には、ナチス・ドイツに占領され、ゴーテンハーフェンと名が変わり、空襲による大きな被害を受けたが、戦後も船客ターミナルとして使われ、1988年の 客船ステファン・バトリーの引退の時をもって先客ターミナルとしての使命を終えた。
MS_Pilsudski
1934年に竣工し、グダニア=ニューヨーク路線に就航した。 MS_Batory と姉妹船。総トン数 14294屯、船客定員759人、速力 18ノット。1939年、開戦後最初の航海で、触雷して沈没した。
写真: The Great Luxury Liners 1927-1954, ISBN 0-486-24056-8 より