b538014.jpg
b538013.jpg
b538012.gif
b461007.gif
b472003.gif
Tczew
トチョフ
Dirshau 
b538011.jpg
b538010.jpg
Marienburg
Gdansk
Pila
b538009.gif
b538008.gif
b538007.gif
b538006.gif
ポーランド系幹線
ドイツ系幹線
右:1935年ポーランド鉄道路線図(幹線)
ポ・ドイツ共用幹線
石炭幹線
FotoPolska から
b538005.jpg
FotoPolska から
上右:1935年測量 2.5万分1地形図(ワルシャワ軍事地理院)
b538004.jpg
b538003.jpg
FotoPolska から
左: 1914年時刻表から
Dirchau では Danzig への連絡列車に接続していた。客車の一部が直通する列車もあり、D7, D8 列車は、Dirschau にて D27, D28列車と連絡し、Danzig発着の客車が、Berlin, Koenigsberg と直通していた。
ブロンベルク(Bromberg, Bydgoszcz)からのプロイセン東部鉄道は、1852年、ディルショウ(Dirschau, Tczew)を通りダンチヒ(Danzig, Gdansk)) まで開通した。そして、ビスワ川の橋梁が 1857年に開通したことにより、マリエンブルク(Marienburg, Malbork)から先、ケーニスブルク(Koenigsberg, Kaliningrad)まで 1853年に開通していた路線と接続された。1871年には、シュネイデミュール(Schneidemuhl, Pila)から、コーニッツ(Konitz, Chojnice)経由でディルシャウに到る短絡線が開通して、ディルシャウは、4方向への分岐点としての要衝になった。
1920年のベルサイユ条約により、ポーランドのトチョフ(Tczew)となり、ダンチヒに向かえば、自由都市ダンチヒとの国境、東に向かえば、自由都市ダンチヒを経てドイツ領東プロイセンと接する国境の街であった。
プロイセン東部鉄道のオリジナルのルート、ラスコビッツ(Laskowice)方面からは、ワルシャワやポズナンからグダニア、ヘル(Hel)に向かう幹線とし、新線区間のホイニツェ(Chojnice, Konitz)方面からのルートは、ベルリンと東プロイセンを結ぶ幹線として、役割が変わってきた。トチョフ経由のベルリン=ダンチヒ間の直列車は無くなり、東プロイセンの入り口であるマリエンブルクで「査証不要接続列車」に連絡していた。ただ、夜行の一往復では直通する寝台車が連結されていた。
第二次大戦後は駅の位置が変わり、グダンスク方面の列車の折り返し運転が解消された。
b538002.gif
b538001.gif
ワルシャワから欧州各地へ
欧州大陸
ベルリンから欧州各地へ
b002001.gif