Malbork
マルボルク
1852 Marienberg -> 1945 Malbork
1876年には、マリエンブルク・ムワバ(Milwa)間が開通し、ロシアの鉄道と連絡してワルシャワへのルートができた。1883年にはトルンへの鉄道路線が開通した。
鉄道連絡の要衝にふさわしいレンガ造りの駅舎が1899年に完成し、第二次大戦で損傷をうけながらも、忠実に復元され現在にクラシックな姿を残している。
ベルサイユ条約でポーランド回廊が設定され飛び地となった東プロイセンの最初の鉄道駅となり、フィルシャウ(Firchau, Wierzchowo)=マリエンブルク間は回廊列車扱いとなった。ベルリン方面と自由都市ダンチヒとの往来で、査証なしの場合はマリエンブルクで乗換をすることとなり、ダンチヒ=マリエンブルク間には「査証不要連絡列車(Visumfreier Anschsszug)」が2往復運転されていた。トチョフで乗換の場合は時間が早いかわり査証を要した。
クロスから建設の始まったプロイセン東部鉄道は、1852年にダンチヒ(Danzig, Gdansk)) まで開通し、マリエンブルク(Marienberg, Malbork)・ブラウンスベルク(Braunsberk, Braniewo)間が1852年、さらにケーニスブルク(Koenigsberg, Kaliningrad)へも1853年に開通した。マリエンブルクとディルシャウ(Dirschau, Tcew)の間はビスワ川(Vistula)の架橋が遅れ、1857年に開通している。