Szczecin
シュチェッチン
ベルリン・シュッテッティン鉄道(Berlin-Stettiner Eisenbahn) は、1842年8月にベルリン=エベルスヴァルデ(Eberswalde) 間で仮開業し、1842年11月にアンガーミュンデ(Angerm&uulm;nde)まで延長、1843年8月にベルリン=シュテッティン間が正式に開業した。1846年にはスタルガルド(Stargard)に伸び、1848年6月にはクロス(Kreuz, Krzyz)、1848年8月にはポーゼン(Posen, Poznan)まで開通している。クロスから北東に延びたプロイセン東部鉄道は、1857年まではベルリンまでの自社路線は無く、シュテッティン経由でベルリン乗入をしていた。また、スタルガルドから北東へケスリン(Köslin, Koszalin)経由でダンチヒ(Danzig, Gdansk)を目指すヒンターポメルシェ鉄道(Hinterpommersche Eisenbahn)が設立され、1870年までに全線開通し、ケーニスベルク(Königsberg)=ベルリン間の優等列車が再びシュテッティンを経由するようになった。
西へも1867年にギュストロウ(G&uulm;strow)への鉄道が開通、1870年にリューベック(Lübeck)経由の路線が開通して、シュッテッティン=ハンブルク間の幹ルートとなり、直通急行列車が設定されていた。
第二次大戦後は、ポーランド領となり、ベルリンやハンブルクとの間を結ぶ旅客列車は無くなった。1948年になって、ストックホルム=ベオグラードを結ぶ「バルト・オリエント急行」が誕生し、シフィノウィシチェ(Swinoujscie)、シュチェッチン、ポズナンを経由するルートで運転を開始したが、1951年には、ヴァルネミュンデ(Warnemünde)、ベルリン、ドレスデン、ブタペスト経由ブカレスト行きに経路変更となり、付属編成がストックホルム=ワルシャワ間、ノイブランデンブルク、シュチェッチン、ポズナン経由で運転されていた。しかしこれも長続きせず、1959年には、ベルリン発着に短縮され、シュチェッチンを通る付属編成も無くなってしまった。
地図: ベデカーガイド 1913年版から。
1935年
ハンブルク・シュテッティン間時刻表