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1871 Deutsch Eylau -> 1945 Iława
Warszawa
Torun
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Germany
Poland
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Marienburg - Mlawa
Thorun - Insterburg
1914
1914
1935
1935
1944
1944
イワバ駅 2015年8月8日撮影 右上:絵葉書 Fotopolska より
Malbork
Iłwa
イワバ
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マリエンブルグ・ムワバ鉄道によって 1876年8月1日、マリエンブルグからドイチェ・イラウまで、さらに、同年10月21日 Motowo、1877年5月15日にソルダウ(Soldau, Dzialdowo) まで開通し、1877年9月1日にはプロイセン・ロシア国境を越えて、ムワバ(Mlawa)に路線を伸ばし、ロシアのヴィスワ川鉄道と接続して、ワルシャワへへのルートができた。ヴィスワ川鉄道は1915年まではロシア広軌で、ゲージが異なっていたので、ムワバでの乗換が必要であった。1920年からはヴェルサイユ体制で、新生ポーランドが誕生、ドイツの国境はドイチェ・イラウの南まで後退した。ポーランド鉄道では ジアルドウォ(Dzialdow, Soldau)から、旧国境線に沿ってその北側を走り、ラスコビッチェ(Laskowice)からトチョフ(Tczew)を目指すルートが南北を結ぶ幹線に昇格、ワルシャワからグディニアを結ぶ列車はそちらに移った。ドイチェ・イラウから南へポーランド国境を越える旅客列車は1935年には1往復のみであった(時刻表B)。東西方向、ベルリン‐東プロイセン間の直通列車では東プロイセン領の最初の駅、国境駅として機能するようになった。1939年のナチによるポーランド占領で、南北方向の幹線も再び、ドイチェ・イラウ経由となり、戦後は、ポーランドの地となって、イワバと改称されている。
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B) Marienburg - D.Eylau 1935
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ワルシャワから欧州各地へ
欧州大陸
ベルリンから欧州各地へ
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