b561011.jpg
b561010.gif
b561009.gif
b461007.gif
b472003.gif
Beuthen ビュウセン
Recht-Oder-Ufer Eisenbahn
オーデル右岸鉄道
1869 Beuthen -> 1901 Beuthen West 1927/
b561008.jpg
b561007.jpg
b561006.jpg
b561005.jpg
b561004.jpg
Bytom(OSE)
Kepno
Katowice
オーデル右岸鉄道(Rechte-Oder-Ufer Eisenbahn)は、ブレスロウ(Breslau, Wroclaw)とオーストリア領のジエジッツ(Dzieditz, Czechowice-Dziedzice)を結ぶ鉄道で、両端から順次開業し、1868年には、ブレスロウ、オエル(Oels, Olesnica) 、クルスブルク(Kreuzburg, Kluczbork) までの区間、南側は、ジエジッツから、チッチャウ(Tiechau, Tychy)、ショピニッツ(Schoppinitz, Szopienice)経由で、ビュウセン(Beuchen, Bytom)、タルノビッツ(Tarnowitz, Tarnowskie Gory)までを開業した。1884年には、両方の路線が連結され、タルノビッツでは、上シュレジア鉄道(Oberschlesische Eisenbahn)の支線とも接続していた。オーデル右岸鉄道の本線は、シャルーリー(Schrley)を経由して、上シュレジア鉄道(OSE)の線路をオーバークロスしていた。ビュウセン(OSE)駅はグライビッツ(Gleiwitz, Gliwice) からの路線が開通した 1872年に設置されている。1900年には、カルフ(Karf, Bytom Karb)とビュウセン(OSE)との間の短絡線が完成し、ROUEオリジナルのルートは支線になり、ROUEの本線ルートはビュウセン(OSE)駅を使うようになった。このときROUEの駅は、ビュウセン西(Beuthen West)と改称された。
第一次大戦後、ベルサイユ体制になると、ビュウセンの街はドイツに残り、その東と南北、三方を国境線に囲まれ、ポーランドと対峙する街となった。タルノウスキとカトビッツェはポーランド領となり、ドイツ領のビュウセンを経由せず結ぶ迂回線が1925年に開通し、ビュウセン西駅とオリジナルの路線は廃止されることとなった。
Szopienice
ビュウセン(ROU)駅 絵葉書(Fotopolskaより)
ROU
オリジナル・ルート
ビュウセン(ROU)駅跡にできた鉄道建設事務所 2015年撮影
OSE駅
ROU駅
迂回線
1935年時刻表 
ビュウセンを経由しない列車がわかる。
国境線
短絡線
上:1905年時刻表 下:1914年時刻表
1900年に短絡線ができ、本線がOSE駅を経由するようになったあと、オリジナルルートは支線として運転されていた。
b561003.jpg
Coal Trank-line
b561002.gif
b561001.gif
ワルシャワから欧州各地へ
欧州大陸
ベルリンから欧州各地へ
b002001.gif