Myslowice
ミスロビッツェ
1846 Myslowitz -> 1922 Myslowice -> 1939 Myslowitz -> 1945 Muslowice
ロシア
プロイセン
オーストリア
グライビッツ(Gleiwitz, Gliwice) 方面からの鉄道が、カトビエッツ(Kattowitz, Katowice)を経て、ミスロビッツ(Myslowitz, Myslowice)まで、1846年10月3日に開通した。ロシア、オーストリアと国境を接するプロイセンの東端の地であった。翌年1847年10月13日には、国境を越えてオーストリアに乗り入れて、シュチャコワ(Szczakowa)への路線が開通し、クラクフ方面へのルートができた。1859年6月25日には、オーストリアとの国境に沿って、オーストリア領オシフェンチム(Oswiecim)に対峙するビスワ川北岸の町であるノウィー・ビエルニ(Nowy Bieun)までの路線が開通した。
ミスロビッツ駅には今も広い構内がある。ベルサイユ体制以前はブレスロー(Breslau, Wroclaw)方面からの長距離列車の終着駅として重要な駅であった名残である。
1914年時刻表
優等列車はミスロビツ行きが多い
ミスロビッツ駅 2015年8月撮影
(上3枚)
3皇帝の碑 2015年8月撮影
かつてロシアの地に立つ3皇帝の碑、鉄道橋の右がプロイセン、左がオーストリアの領土であった。