山海関
山海関の町を南北に貫く万里の頂上を境に西側が関内、東側が関外と呼ばれ、町のシンボルは天下第一関の城門である。1614年の李自成の乱で明が倒されると、ドルコン率いる清の軍勢がここ天下第一関を突破して、北京に入城、清王朝による中国統治が始まる。
京奉鉄路は、北京と奉天(瀋陽)を結ぶ鉄道で、中国で実質的に最古の鉄道である。1881(明治14)年、唐山=胥各荘間に開通した唐胥鉄路公司は、東西に延伸を繰り返して、1887(明治20年には天津延伸で中国鉄路公司と改称、1894(明治27)年には臨楡(山海関)延伸、日清戦争後、津楡鉄路局が設置された。1897(明治30)年には関内外鉄路局となり、1903(明治36)年には新民まで延長、1907(明治40)年、日露戦争中の日本軍の軍用軽便鉄道を買収して奉天に乗り入れ、京奉鉄路と改称された。その後、平奉鉄路、北寧鉄路と名を変え、満州事変後、1932(昭和7)年1月には満州国鉄奉山線が分離され、すべての列車が山海関で乗り換えとなった。1933(昭和8)年塘沽停戦協定の結果、7月1日より東方旅行社による北平ー奉天間の直通列車が復活した。1937(昭和12)年7月7日の日華事変勃発後は満鉄が北寧側に社員を派遣し、仮営業を続けて、1939(昭和14)年4月、華北交通株式会社が設立され、北寧側は華北交通京山線となった。
山海関駅絵葉書
山海関駅では税関検査が行われていた。(満州・蒙古の大地 国書刊行会
山海関駅
(満州慕情 大地満史会
山海関駅
2016年8月撮影
山海関地図 奉天から北京へ JTB 1938