a034008.gif
a002012.gif
a002012.gif
a034007.jpg
a034006.jpg
東海南部線 中央線
慶州付近
京釡・京義・安奉経由
東海北部線 良子洞
<東海中部線 慶州‐金丈、西岳> 1991.1.2
 現在の慶州駅付近には狭軌線の暫定連絡線の跡が空き地となって残っていた。そして現在線と交差したあと旧慶州駅に向う旧線は、慶州バスターミナル前の道路に平行して1km程は道路に拡張され、旧慶州駅の在ったと思われるロータリー交差点の辺りから道路南側の住宅地となっていた。旧慶州駅を過ぎた後数百メートルして西川を渡っていた旧線は、河川改修の際に河幅が拡張されて橋梁の跡形は何も残っていなかった。西川の対岸に渡ると、コンクリートで出来た橋がそのまま農作業用物資の置場として再利用されて残っていた(写真1)が、これは西川橋梁を渡ったあとで小さな川を渡っていた橋梁である。農地の真中に忘れ去られたように完全な形で残っているこの橋は、橋桁までもコンクリートで出来ていたために解体が困難で残されたものだと思われる。このコンクリートの橋を渡り終えたところに慶州信号場があった。その跡は農地として整備されているが、鶴山方面短絡線用の小さな橋台が残っていた(写真2)ことから、その位置は確実に想像できた。さらにここから大邱方面へ行くと西岳駅跡に達する。東海線では、慶州信号場から大きく右にまがって北へと進んでいた旧線は、現在の貨物専用短絡線と平行しながらも西川の崖の縁に沿って現在の羅原駅へと進んでいた。この区間のほとんどは細い道路として残っている。そして現在の中央線の西川橋梁付近では、中央線の改軌の昭和14年6月1日から昭和20年7月10日までの約6年間、標準軌と狭軌の立体交差があった(写真3)。中央線がこの地点で狭軌旧線跡の道路をオーバークロスしている。(この中央線新線は近年ルート変更により廃線になった。)さらに続く旧線跡は東国大学の付近を回り込みながら、勾配線を昇って今度は現貨物専用線を2度オーバークロスして、またまた回り込みながら築堤を下り、こんどは貨物線の下を通っていた。この貨物専用線は建設されたのがかなり新しいようで狭軌旧線との交差部分では旧線は不連続となっている。貨物線と交差した旧線は畔道となって旧金丈駅へと続いていた(写真4)。旧金丈駅跡は農地となっていたために跡形は残っていなかったが、その農地の広がり方が駅の跡であることを思わせていた。旧金丈駅のところで道路と合流してその下に埋もれた旧線は慶州‐羅原間の鉄橋の下をくぐって練炭工場の脇を通り現在線に合流していたが、この区間の跡形は見付けられなかった。
写真:1991年1月撮影
地図:大正14年測図 地形図
蔚山・慶州
中央線
朝鮮鉄道略図
永川付近
慶州−永川
慶州付近(1)
慶州付近(2)
蔚山−慶州
浦項−興海
興海−清河
龍化−東幕
廃線跡・鉄道史跡
東海線
朝鮮北部・浦塩経由
欧亜連絡
a034005.jpg
a034004.jpg
@
A
B
C
3
4
a034003.jpg
1
2
a034002.gif
a034001.gif
a015001.gif