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上海航路
長崎港
上海港
長崎 
上海 
日本郵船 
東亜海運
欧州航路 
北米航路
横浜 
神戸 
門司
日華連絡線
 明治8(1875)年、我国最初の海外定期航路として郵便汽船三菱会社横浜−上海間が開設され、その第一船は木造外輪線の東京丸(総トン数2217トン)であった。明治18(1885)年には合併により誕生した日本郵船が航路を引き継ぎ、以来航路拡充に努めたのが上海航路である。明治32‐33年には上海−天津、長崎−香港(往航:上海・厦門経由、復航:上海・仁川経由)、上海−漢口の各関連航路を開いた。上海航路の政府命令線は、はじめ横浜−上海であったが、大正4年、神戸−上海線、大正12(1923)年2月長崎−上海間の「日華連絡線」が開設されると、これが本線に変更された。長崎からの「日華連絡線」に就航した「長崎丸」・「上海丸」 (総トン数5200トン、1等定員155名、3等定員200名)は旅客重視の貨客船で、従来からの貨物中心の貨客船とは設備の優秀さで勝っていた。大正13(1924)年5月には神戸に延長された。昭和14(1939)年8月東亜海運の設立により、航路船舶ごと引き継がれた。また同年、新造船「神戸丸」(総トン数7900トン、1等149名、3等448名)が加わり、神戸−長崎−上海線が強化された。
 
外国船社の航路
 日華連絡線の他にも、欧米の船社が日本上海間を結んでいた。例えば、北ドイツ・ロイド汽船(Nord Deutscher Lloyd)のブレーメンー横浜線や、ペニンシュラ・オリエンタル汽船(Peninsular & Oriental)のロンドン−横浜線、カナダ太平洋汽船(Canadian Pacific)のバンクーバー−香港線などは、上海にも寄航して、日本上海間も利用することが出来た。
日本郵船欧州航路
 横浜−欧州間の航路は、神戸・門司(除復航)・上海・香港・シンガポール・マラッカ(除復航)・ペナン(除復航)・コロンボ・スエズ・ポートサイド・マルセーユ・ロンドン・アントワープに寄航し、日本上海間でも乗船可能であった。また逆に日本−上海間を陸路によって上海以西を乗船する乗客のために横浜上海間1等乗船券を所持する欧州線便通船客に対して「日支巡遊券」という割引切符が発売された。ルートは2つあり、
甲) 浦口経由: 横浜−下関−釜山−安東−奉天−天津−済南府−南京−浦口−上海(横浜または桜木町東京間、宮島厳島間、天津北京間の往復を含む)
左:神戸丸 右:長崎丸 絵葉書
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左:日本郵船日支連絡船ポスター 1923 中:カナダ太平洋汽船ポスター 1930 右:日本郵船航路案内 下:長崎上海フェリー 1984
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満州・中国経由
欧亜連絡
乙) 漢口経由: 横浜北京間は甲と同じく、北京より京漢線にて漢口に出て、漢口上海間は日清汽船会社船による
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