北鮮三港
清津
羅南駅
目で見る昔日の朝鮮 国書刊行会 より
5万分1地形図 清津、羅南 1997年 高麗書林より
清津(新)
清津(旧)
昭和8年、満鉄京図線 の開通と連絡開始により、清津は日満大動脈の海陸接点として賑わうようになり 清津=新京間急行列車が設定された。昭和10年には、満鉄雄羅線 (雄基=羅津) 、昭和12年6月 満鉄図佳線 (図們=牡丹江<昭和10年12月>、牡丹工=林口<昭和11年6月>)の開通により、新京、佳木斯行き各等急行の始発駅となった。清津地区路線改良では、今まで 輸城 にて別列車連絡だった 京城発着の満州方面直通列車を、牡丹江行きとして 清津 に停車させ、佳木斯行きは 羅津発着に変更、新京行きは、清津 と 羅津 の両方からでるようになった。
清津駅 (旧駅)
目で見る昔日の朝鮮 国書刊行会 より
北鮮船車連絡時刻
北日本汽船 昭和13年
輸城
康徳
南康徳(信)
羅南
清津西港
清津漁港
2.5万分1地形図 清津
昭和10年測図
清津地区の改良
咸鏡線は 元山 から部分開業を重ねた 咸鏡南部線、城津付近の 咸鏡中部線、清津=会寧 と、その途中の 輸城 から南へ建設が開始された 咸鏡北部線とに分かれていた。昭和3年9月1日、(盤松=群仙)の開通を以ってそれらが全通した。こうした背景から 羅南 をでると 輸城で折り返して清津へ向かう線路配置となっていたが、昭和14年から路線の改良がはじめられ、昭和15年7月、清津=清津港(2.0km)の整備、昭和16年12月には羅南=清津が直接結ばれ、清津駅が移転、上三峰方にも折り返し無しに直通できる線形に改良され、清津港駅へは清津線(2.8km)に改称された。昭和20年に部分開通した清羅線への入線も考慮されていた。