図們は旧名を灰幕洞といい、京図線の開業とともに昭和8年5月、図們と改称された。図們江を隔てて、朝鮮の南陽と対峙し、国際鉄橋(鉄道道路共用)を介して日満貿易の拠点となっていった。南陽は満鉄北鮮線(羅津−南陽−清津)の中間に位置し、羅津・雄基と清津からの満州行き列車の日本側国境駅であった。南陽図們橋は昭和8年4月に鉄道部分、同6月に公道部分が完成した。
南陽図們橋は、北鮮三港の羅津方面と清津方面、満州の新京方面、牡丹江方面の4方向の列車が一点に集まる大変本数の多い区間であった。
今では、道路橋は別の場所に新設されて、古い橋は鉄道のみの使用となり、列車の回数も激減している。