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Port of Seattle
シアトル港
沙都港
シアトル航路
シアトル
ワシントン州
北米大陸
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King St.Sta.
Union Sta.
1936年5月―8月 西海岸発アジア行き汽船スケジュール
1908年測量 62,500:1 地図
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シアトル6番桟橋での生糸の船車連絡 大阪商船50年史、1934年刊より
沙都案内 1919年刊より
グレートノーザン埠頭
King St.Sta.
Union Sta.
#6 Pier
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6番桟橋 MOHAIより
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グレートノーザン鉄道でシアトルへ集まる小麦の輸出と生糸の輸入は日本郵船の汽船で行われいたが、輸送量不足のため、グレートノーザン汽船会社(Great Northern Steamship Co.)が1903年設立され、ミネソMinnesota(20602t) 、ダコタDakota(20714t)の2隻が就航した。当時の日本郵船の船は三池丸(3312トン)、山口丸(3320トン)、金州丸(3967トン)の第一組3隻での月1回配船から、1901年暮には新造船の加賀丸(6301トン)、伊豫丸(6320トン)、信濃丸(6388トン)、と従来の金州丸(3967トン)、旅順丸(4794トン)、土佐丸(5402トン)の合計6隻で2週に1回の配船に増強されたところだったが、グレートノーザン鉄道の貿易量の目論見には不足していたのである。グレートノーザン鉄道は大型汽船の建造にあわせて、1905年からスミス入り江にグレートノーザン桟橋を開設した。日本郵船の船もこの桟橋に接岸されていたのだが、シアトル市街からは少し距離があり、旅客よりは貨物優先の感がある。
それに比べ、大阪商船のタコマ航路の桟橋は市街部の6番桟橋に繋留されたので旅客には便利であった。大阪商船の貨物連帯相手はミルウォーキー鉄道で、タコマ港で積み替えが行われていたからである。 貿易品目は、東洋への小麦の輸出は目論見通りに進まなかったが、生糸の輸入は順調であった。シアトル-極東間の大圏航路は太平洋航路中最短なので、サンフランシスコ経由ニューヨーク行きよりも、約1日早い到着となり荷主にとって魅力的であった。大阪商船の船も生糸だけはシアトルでの船車連絡が行われていた。しかし、1940年に、石炭から合成繊維ナイロンが開発され、生糸輸入の衰退が始まった。1942年にはグレートノーザン桟橋一帯が海軍要塞地帯と指定され、シアトル港から分離され一般に開放されたのは1970年台にスミス入り江公園が整備されたときであった。
Seattle King Street Station
Seattle Union Station
Seattle Port
Seattle Transportation
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