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 安奉線は、日露戦争の兵站線の建設運営のために大本営によって編成された臨時軍用鉄道監部が新たに建設をした軍用鉄道であった。従って、日露戦争に勝利し、ポーツマス条約によってロシアから割譲される利権とは異なる性質のものであった。
 東清鉄道支線の長春以北がロシア側の経営であることは、南満州を経営することになる日本にとって、同様の後方支援の兵站線を有することが利権保護の絶対条件であり、軍用鉄道で建設された安奉線の改築と経営継続が必要不可欠であった。
 清国との長い交渉の結果、1905(明治38)年の日清満州善後条約で、安奉鉄道の改築と改築後後15年間の日本の経営が認められた。満鉄に移管された安奉鉄道は、大連中心の満鉄の経営方針、対ロシア軍備的陸軍方針、清国の目論見、それぞれで満鉄線接続地点で相違があったが、1909(明治42)年に改築が始まり、鴨緑江鉄橋については、清国に無断で工事が始まり、1910(明治43)年4月の日清覚書で清国に承認された。1911(明治44)年11月1日に京義・安奉・鴨緑江鉄橋が標準軌の鉄道でつながった。
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安奉線
安東 - 鳳凰城
安東
奉天
安東
南芬
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安奉南乙線
安奉線
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安奉線の改軌の際には鶏冠山=秋木荘間で、大きくルート変更が行われた。旧線が鶏冠山の北で東の峠を越えて雪裡方面に向かっていたのに対して標準軌新線は北に向かい、鶏冠山隧道(992m)、黒坑隧道(459m)を潜って秋木荘に到ることになった。旧線時代の黒坑越えは、黒坑駅での2段のスイッチバックに加えオメガカーブが連続した難所であった。
昭和19年の複線化の際には、鳳凰城=劉家河間は別線式で、明治時代の狭軌線が通っていた雪裡の谷へ東から回り込むルートで建設され、安奉南乙線と呼ばれている。
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鶏冠山
秋木荘
劉家河
鳳凰城
雪裡(信)
黒坑隧道
黒坑隧道
狭軌線を標準軌新線区間に併設して仮開通していた。
(安奉線改築工事記念写真帳 1913)
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満州路線図
京釡・京義・安奉経由
満州・中国経由
欧亜連絡
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