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Gliwice
グリビッツェ
1845 Gleiwitz -> 1945 Gliwice
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Katowice
Opole
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Bytom
1845年11月2日に、ブレスロー(Breslau, Wrolaw)からの上シュレジア鉄道(Oberschlesische Eisenbahn)が開通した時に、グライビッツ駅が開業した。
1846年にはカトビッツを経由してミスロビッツ(Myslowitz, Myslowice)までが開通し、1872年10月27日には、ビュウセン(Beuthen, Bytom)への路線が開通した。1903年にビュウセンからカトビッツへの連絡線(Chorzow Miast経由)ができると、多くの旅客列車がビュウセン経由でカトビエッツ方面に向かうようになった。
1918年からは、ヒンデンブルク(Hindenburg, Zabruze) - ルーダ(Ruda)間に、ドイツ・ポーランド国境が敷かれ、ルーダ経由でカトビエッツへ向かう直通列車はなくなり、全てがヒンデンブルク乗換となった。代わりにビューセンがドイツの端の終点駅となった。
時刻表 
↑1914年 ビューセン経由の直通列車が多い
←1935  ヒンデンブルクで全ての列車が乗換となっている。
グリビッツェ駅 2015年8月撮影
プラットホームの造り替えと、駅舎の全面修復が行われており、2016年には完成する予定である。
右絵葉書: Fotopolska より
グリビッツェのラジオ塔は、高さ118mの木造、世界一高い木造塔である。1934年に建てられたラジオ塔、そのラジオ局に1939年8月31日、武装した一団が押し入った。しかし、このラジオ局はブレスローのラジオ局のスタジオからの放送を中継する施設であり、スタジオがなかった。しかたなく、年に数回使われる「嵐を伝えるマイク」を取り出し、「ここグライビッツのラジオ局はポーランド人に占拠された」と放送した。事件はすぐに鎮圧され、この事件を口実に翌日9月1日、べスタープラーテでドイツ軍によるポーランド侵攻が始まった。 しかし、実はドイツSSのがポーランド兵を装って自作自演の犯行であった。   2015年8月訪問
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ワルシャワから欧州各地へ
欧州大陸
ベルリンから欧州各地へ
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