東海北部線 <束草 - 文岩> 1990.4.30, 1991.3.19
束草から巨津を経て大津までは昼間約10分おきに市内バスが走っている。これを利用することにした。束草の市街部を出たところで永郎湖の橋を渡るが、ここには道路の左側に旧線の橋が残っていた。ここから1km程は道路と離れたところを通って、龍村橋(写真2)を越えたところで再び合流する。その先路盤はしばらくの間国道と平行したあと、左へ真っすぐ離れていった。バスは天津の街に着いた。旧天津里駅は現在の国民学校の裏にあったはずである。その地点に行ってみると、こじんまりした敷地が空き地になって残っており、前後に続く道床跡とその付近の環境から駅の跡であることはすぐにわかった(写真3)。天津の街から駅跡へ続く道がその地点で突き当たって左右に分かれていることから、ここが駅前であったことが容易に想像できる。
駅跡から続く道床は清間川を渡って(写真4)、約2kmは国道と離れた場所を通り(写真5)、橋岩の集落の辺りで再び国道と接近する、この先10本の橋脚と橋台(写真6)を残している川を渡るとすぐに旧文岩駅である。文岩駅跡は敷地を残しているだけであったが(写真7)、鉄道庁による敷地占有禁止の看板があった。