東海北部線
大浦ー束草
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2005
大浦
束草
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東海北部線<大浦-束草> 1990.4.30
大浦駅があったと思われる地点よりもかなり低い位置を通っている国道の急な坂道を昇ると、左後方から合流してくる泥道があった。これが旧大浦駅から出てきた道であった。ここから先1km程は国道拡張によって跡形が無くなったがとにかく国道を1km程歩くと、左に泥道が分かれていった。これが再び現われた廃線跡である。新築アパートの横をカーブをした泥道が500m程続いていて、いったん途切れていた。国道を迂回してその先に回ると築堤は崩されていたが、橋台がぽつんと放置されていた。その橋台の先は泥道として残り、途中には数箇所の橋台跡が残っていた。青草川の手前には鉄道庁の名前でこの廃線路盤を占領することを禁じた立看板がたっていた。青草川の橋は橋台と橋脚が残っていたが、河川改修で川と橋跡の位置がずれていた。この後築堤が500m程残っていたが、その先は束草の市街地となっており、普通の道になっていて鉄道の面影を見付けることは出来なかった。しかし旧線敷の上に成り立った雑貨屋街はその付近の建築様式が異なっていたためにすぐに旧線敷であることがわかった。そしてその雑貨屋街が面積的に束草駅跡であることがわかった。位置は現在のバスターミナルより2km程大浦寄りの所である。束草の街は起伏に富んでおり、そこを切取と築堤で旧線は進んでいたようだが、その築堤部分のほとんどは崩されて地表面にそった坂道となって商店が立ち並んでいた。