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小高い丘を回り込むところには道路の脇に数十メートルの長さではあったが、バラストが残ったまま放置されている区間があった(写真2)。 そしてその延長線上は住宅地のなかの道路になっており、韓国電力公社の先で左に曲ると道路の左側に旧線跡があらわれる。コンクリートの橋を渡った後、カーブした形の細長い白菜畑となった旧線(写真3)は草堂洞集会場を過ぎると未舗装の道となった。そして鏡湖の畔までくると、川がありそれを渡っていた橋梁の跡は5本の橋脚と橋台が完全に残っており、その先は小山の左を回って続いていた(写真4)。旧鏡浦臺駅の付近は海岸観光地として栄えているために、その中を通る旧線の跡はほとんどわからなかった。鉄道ジャーナル
1969-8 に鏡浦台駅の写真が載っている。(写真5)鏡浦臺駅から先は襄陽へと続く未開業区間の跡の道となって続いていた。
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東海北部線<江陵-鏡浦臺> 1990.12.27
1942年に路盤が完成していながら物資不足のために開業することなしに終戦を迎えた襄陽−東海のうち東海−江陵−鏡浦臺は1962年に韓国国鉄の手によって嶺東線として開業した。しかしその末端区間江陵−鏡浦臺は1974年3月1日廃止されたのである。東海北部線は復活計画があったが、この区間が廃止されたことによってそれも絶望的となったものと考えられる。江陵−鏡浦臺は5.7kmであり、江陵駅を出るとそのまま海岸線に向い鏡湖と海岸に挟まれたところに終点鏡浦臺駅が置かれていた。江陵駅から約1kmで構内延長線が途切れる(写真1)。
つまりここからが廃線跡となる。ここから1.5kmは住宅地や道路として整備されまったく跡形はなかったが、
江陵
鏡浦台
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1977 地形図