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東海北部線(未成区間)
鏡浦台 − 沙川津
 
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江陵-鏡浦台
沙川津‐注文津
6
5
4
4
3
2
1
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沙川津
鏡浦台
2005
@
A
B
C
D
E
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東海北部線<鏡浦臺-沙川津>  1991.3.19
鏡浦臺駅から先は襄陽へと続く未開業区間の跡の道となって続いていた。
右は東海である。この辺りは非常に海岸警備兵が多く感じられた。海の向うの敵が上陸してくるのを阻止するためである。
海岸一帯にはりめぐらされた金網と銃を持って警備する兵士を見るといやがおうにも緊張感が高まる。そしてそれと同時に余計な写真を取らないように注意する必要を感じる。その金網の内側に続いている道路、これが鉄道が開通することなしに放棄された路盤の跡である。途中、小川を跨ぐコンクリートの橋や道路横に橋台が残り(写真1,2)、道路が山帯月里に入ると、左手に池が見え始める頃から路盤は道路の左側に独立して現われ、池の所には橋台の跡が残っていた(写真3)。再び路盤は道路に吸収されてしばらく続き、川を渡る。その沙川津橋は鐵道用の橋脚を利用して架けられた幅の狭い橋であった(写真4))。そのために橋の途中には歩行者用の退避場所が設けられていた。この橋を渡ると沙川津の集落へ向う道路が別れて、路盤はこの道路に平行して残っていた。次第に路盤は同じ高さの広い面積の盛土台地にさしかかった。ここが沙川津駅の予定されていた所に間違いない(写真5)。しかしホームなどの構築物は何も見当らなかった。 駅構内が終わる辺りには鐵道庁の境界石があった(写真6)。
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東海線
襄陽付近
江陵付近
慶州付近
浦項付近
梅院付近
朝鮮鉄道略図
朝鮮北部・浦塩経由
欧亜連絡
京釡・京義・安奉経由
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