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東海北部線(未成区間)
臨湖亭 − 市辺里 − 光丁
 
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東海北部線(未成区間)<臨湖亭 − 市辺里> 1991.3.19
臨湖亭駅の先で路盤跡は国道と交差して一端は陸側に移って一山越えた跡、梅湖の手前で再び海側に移り国道とぴったり着いて平行して仁邱の街の手前で国道が少し山側を巡回するのに対して路盤跡は海岸線にそって直線的に進んでいた。此処にはやはり橋の跡(橋台、橋脚5、写真1)が残っていたが、それに続いていたと思われる築堤は崩されかかっていた。路盤跡は仁邱の街の裏(海側)を通りすぎて、街の外れの竹島海水浴場入口の付近に広い敷地を残していた。此処が市邊里駅の跡である(写真2)。
光丁‐襄陽
注文津‐臨湖亭
1
2
3
4
6
5
。陸側に移った路盤は高い築堤になり国道からは見え隠れしながら続いていた。直行バスも停車する河趙臺のバス停過ぎ、光丁川には橋の跡(橋台、橋脚3、写真6)が残っていた。 その先に光丁駅があったのだが、遺構を見つけることはできなかった。そしてその先には国道脇に広い敷地が残っており、此処が光丁里駅の予定されていた場所である。そこからすぐに路盤跡は国道の海側に移りしばらく国道に平行した後、山側に入っていく国道とは別れてそのまま海側を大きく回って襄陽に達していた。
東海北部線(未成区間)<市辺里 - 光丁>1991.3.19
市邊里からは路盤は国道の海側に続いていた。そして38線休憩所の手前で路盤は国道を跨いで陸側に移った。丁度この付近にある小川の橋台(写真3) は鉄道ジャーナル'90-8号131頁に写真が載っている。
臨湖亭
市辺里
光丁
2005
@
A
B
C
D
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東海線
襄陽付近
江陵付近
慶州付近
浦項付近
梅院付近
朝鮮鉄道略図
朝鮮北部・浦塩経由
欧亜連絡
京釡・京義・安奉経由
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