東海北部線 未開業区間
龍化ー梅院
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海北部線未開業区間<龍化-東幕> 1991.3.18
東海北部線の予定地のうち地形急峻で山が海に迫っているために工事の遅れを防ぐために早期着工された区間であるが、結果的に前後区間が着工される前に日本敗戦となったために独立した工事完工区間となっている。この区間には4本のトンネルが掘られており、このうち2本は1kmを越える長大トンネルである。これらのトンネルは昭和18年6月に、そして龍化-東幕間(8.2粁)の路盤が完成したのは昭和18年7月であった。
浦項からのバスが三陟まで30km位に近付くと突然橋台が現われる(写真1)。丁度龍化海水浴場の辺りである。此処が独立した路盤完成区間の始まりだ。海岸警備の為にはりめぐらされた金網ごしに、砂浜を回り込んでトンネルに進入する路盤跡が見える(写真2)。此処からの景色は急峻な地形が海に迫っているのがよく解る。第1のトンネルは300m程でわずかに拓けた低地部分に出るがすぐに第2のトンネルに入る(写真3)。これは城峠隧道と名付けられて1121mの長さである。城峠隧道は現在は通行禁止で龍化方入口には蓋がしてあったが、東幕方入口(写真4)には蓋はなく、口を開いた無限の闇が不気味であった。城峠隧道東幕方口付近は草谷部落で、此処まで三陟から市内バスが通っている。 第3のトンネル(写真5)を含めた約1kmの路盤跡はバス道として公共輸送に一役買っているのがうれしかった。そのバス道区間は200m程の第3のトンネルを抜けると右側に海が開け、そこを築堤を以て抜けている(写真6)。築堤はカーブして(写真7)接近してきた国道に一旦接してすぐに未舗装の道として岐れるが、此処から600m程は軍事区域で「民間人統制区域・接近禁止」の立て札があった(写真9)。