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吉林
京図線
吉林西
新京
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長春と吉林を結ぶ鉄道、吉長鉄路は、日露戦争前にロシアが敷設権を得ていた路線であったが、ポーツマス講和条約で寛城子以南の東清鉄道とともに日本がその権利を引き継ぎ借款供与、1912(大正元、民国元)年10月、中国国鉄として開通した。当初の不完全な工事に起因する貨物取扱の不備から営業成績が芳しくなく、1918(大正7、民国7)年、満鉄が経営を受託することになった。そして、従来、哈爾浜まで水運を頼っていた吉林省内で産出される木材、農産物が途中の吉林で吉長鉄道に積替えができ、大いに繁盛したのであった。
吉林より東へは、1909年の間島協定で認められた吉会鉄道(吉林 - 会寧)への投資権を背景に日本の意図により、1928(昭和3)年に吉林 - 敦化間(吉敦鉄路)が開通し、満鉄へ経営委託がされたまま、満州事変勃発、満州国鉄に編入された。1932(昭和8)年には敦化 - 図們間(敦図線)の開通により、満洲国の首都新京と日本の首都東京を朝鮮北部経由で結ぶ最短経路の幹線鉄道、京図線が完成した。
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吉林站(2017年10月訪問)
1912年に初代駅舎が完成し、1920年台に2階建て建物に建て替えられた駅舎は1980年まで使われ、仮駅舎時代の12年を経て、1992年に完成した "JL" の文字の意匠の駅舎が 2009年まで活躍した。高速鉄道の乗り入れに合わせた新しい駅舎の建築が2013年から2015年にかけて行われた。
吉林站(絵葉書)上:1912年開業当時 下:2階建てになった2代目駅舎
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朝鮮・浦塩経由
満洲路線図
欧亜連絡
シベリア鉄道
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