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東海南部線
蔚山・慶州
<慶州-西岳-羅原>
 慶州付近の路線の変遷はかなり複雑な経緯を経ている。慶州に初めて鉄道が開通したのは、朝鮮中央鐵道が河陽(現大邱線)-浦項及び西岳-仏国寺を開通させた大正7年である。大正12年には朝鮮鐵道に合併して慶東線となった。その頃、西岳には分岐駅として機関庫も設けられていたことが大正14年修正の地図から読み取れる。昭和3年には国鉄に買収された。そして、買収後は全ての旅客列車が慶州駅を経由するように運行形態が変更されたことにより、慶州-西岳間に慶州信号場を設けてここを分岐点とし鶴山方面に連結した。この三角線の開通により慶州駅から鶴山方面に方向転換なしに進行できるようになった。昭和11年になると、東海南部線蔚山-慶州間が標準軌に改軌されたことに伴って、慶州駅は現在の位置に移転された。この結果、旧慶州駅は慶州第二信号場となり、更に西岳方面からの狭軌線は新たに連絡線を建設して現在の慶州駅に乗り入れることになった。昭和14年には京慶線(中央線)永川-慶州間が改軌されて、慶州駅には北を回って進入するようになった。朝鮮南部における第二の縦貫鉄道としての中央線の準備は着々と進んでいったのである。こうして慶州地区での狭軌線は慶州-鶴山間のみとなり、慶州信号場での分岐は不要となって廃止されたようである。慶州-浦項間は東海線という重要幹線の一部でありながら、未着工区間が多く全通の目処がたたない為に改軌は遅れ、昭和20年になって標準軌線が開通することになる。路盤は昭和16年にはすでに完成していたが、戦時の物資不足による影響であった。日本敗戦直前のこの区間の改軌により慶州付近の路線は現在の形に整備された。
慶州
釜山
永川付近
慶州−永川
慶州付近(1)
慶州付近(2)
蔚山−慶州
浦項−興海
興海−清河
龍化−東幕
廃線跡・鉄道史跡
東海線
朝鮮鉄道略図
京釡・京義・安奉経由
欧亜連絡
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写真上:昭和11年建造の慶州駅 (1989年3月撮影)
写真下:旧駅 (日本地理大系より)
1925年
1936年
2005年
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