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平壌は朝鮮四旧都の一、最も古い都市で史蹟名所多く、観光地として第一に数えられる処。近年へ鉄と石炭の豊産に依って、陸軍兵器支廠、大日本製糖、電気工業、その他各社工場林立の工業都市となり、益々発展した。
 有名な大同江畔の牡丹台、或いは日清役の勇戦地玄武門、虚子氏の名作「朝鮮」で紹介されたお牧の茶屋、愉快な妓生学校、楽浪の古墳、平城の一瞥は感興を唆るものが頗る多い。
さて列車は平壌駅を出て市街の西北部を迂回し、左窓に近く普通門の楼閣を望み、進んで牡丹台の老松茂る丘陵の一端に出て、朝鮮建の駅舎西平壌駅を経、一帯に広い平圃を北進する西浦駅は前述平元線の分岐点、次の順安駅は浅野経営の砂金採取が大々的に行われ、続いて漁波駅を過ぎて稍長い一トンネルを潜り、再び水田遠く連なり、又苹果畑の多い粛川駅を通る。粛川は平南屈指の市場である。
その次駅は安州炭砿の出炭地萬城、此の辺より清川江畔の渺茫たる原野を望見し乍ら新安州駅に着く。ここは价川・泉洞鉄山方面への乗換駅である。
新安州を出て平安南北道の境界清川江の長橋を渡る。此の鉄橋は延長二千六百呎弱、鴨緑江に次ぐ長橋で、車窓江上の風爽やかだが、既に内地を遠く離れて、聊か旅愁めく何ものかが窺い寄るであろう。線路は西鮮最北の平安北道を行く。孟中里及び嶺美の二駅を過ぎ、その間に大寧江を渡り河畔の沃野を走る。車窓に碁盤の目盛りのような灌漑水路が幾條となくつづき、雲田・古邑の諸駅を通る。何れも米の発送多く、付近の清亭洞からは真鍮製品の特産がある。かくして五山の隧道を潜って日露戦役の際、彼我騎兵最初の衝突地点として印象の深い定州駅に着く。
右窓遥かに加納中尉の忠魂碑を仰ぐ。いまは米・大豆それに苹果の生産の多い静かな農村市場である。定州を経て義州街道添いの小部落郭山・路下などの小駅を過ぎ、平北第一の物資集散地宣川に入る。ここは鮮内随一の基督教の盛んな土地で、教会の鐘声も異国情緒が如何にも深い。又西方海岸に出れば沖近く身勒島が浮かび、夏季は絶好の避暑地で、外人の来遊が多いと云う。
宣川の次は東林、その城址の石壁が右窓に見え、城址内には小さな瀑布がある。線路は背山谷隧道を抜け、一寸面白い由緒のありそうな車輦館駅を経て南市に着く。
ここは海岸方面の大干潟開墾即ち不二農場視察の下車駅で更に総督府の大規模な南市塩田が広漠と広がり、農産・水産両方面とも、流石に大陸的企業でスケールが大きい。南市駅を出て暫し丘陵の間を繞り、良策・枇HYONの二駅を後に三橋川の鉄橋を渡る。
此の川は水清く、冬季結氷に際しては理想的の天然氷が採取せられ、夏季は丁度此の鉄橋の上流辺に各種の施設をして海水浴に恵まれない新義州・安東両市民の為めに備え、その来浴に賑わいを呈す。次いで白馬駅を通り、直ちにトンネルを潜って山間の小部落石下を過ぎて切取を抜けると、車窓の眺めは俄か明るくなり、一望遮る何ものもない鴨緑江流域の平野にでる。
かくして、愈々新義州駅に着く。云うまでもなく朝鮮の北門国境第一の前線である。もと河畔の一砂州に過ぎなかった此の地は、鉄道架橋の地点となるや、忽ち大飛躍をして今日の如き大市街となった。列車は猶お進んで王子製紙工場の右に待望の鴨緑江国際鉄橋にかかる。世界的に著名な橋梁だが、参考までにその構造概要を再記すると、竣工は見時四十四年十月、構桁三百呎に二百呎各六連より成り、延長3,098呎、総工費は当時としては莫大な百六十五万円を要し、有名な中央の廻転桁は昭和九年三月末その開閉を廃止した。橋を渡れば友邦満州国領となり、満鉄安奉線の起点安東停車場に着く。此の国際駅安東で各列車は通関其他の関係から三四十分の停車となる・・・・・・。
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京義線
旅窓に学ぶ ダイヤモンド社 昭和13年 より

1. 京城―平壌間
2. 平壌―新義州間 
1. 京城―平壌間
2. 平壌―新義州間 
旅窓に学ぶ
ダイヤモンド社(東京麹町)
昭和13年8月3日発行

京釡線のページから引用

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京義本線案内
平壌 = 新義州間
 
 
 
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