Oakland Pier, Southen Pacific Lines
オークランド桟橋駅
サザンパシフィック鉄道
<大陸横断鉄道のサンフランシスコ到達とオークランド桟橋駅(Oakland Pier)>
米国大陸横断鉄道の完成、すなわちユタ州のプロモントリ(Promontory,UT)における最後の犬釘打ちが行われた1869年5月10日には、セントラルパシフィック(Central
Pacific)鉄道の西の終点はサクラメント(Sacramento,CA)であった。セントラルパシフィック鉄道の子会社であったウエスタンパシフィック(Western
Paisific)鉄道はサクラメントからストックトン(Stockton)、アルタモント峠(Altamont Pass)、ナイルズ(Niles)を経てヘイワード(Hayward)で既存の
サンフランシスコ・アラメダ鉄道に連絡した。これにより、最初の大陸横断列車がサンフランシスコに到達したのが、1869年9月6日であった。同じ年11月8日には、7番街の軌道が完成し、列車はオークランドに乗り入れた。またセントラルパシフィック鉄道はサンフランシスコに直接に乗り入れていた
サンフランシスコ・サンノゼ(San Francisco & San Jose)鉄道を買収した。しかし、大陸横断列車はオークランドからの連絡のルートを変更しなかった。
オークランドでは浅瀬に長く伸びた桟橋の突端に駅があるという特徴のある形態であったが、いくつかの鉄道会社の桟橋駅の中でも最も大きかったのがサザンパシフィック鉄道のもので、1882年に完成し、大陸横断列車、シアトル方面、ロサンゼルス方面の長距離列車や、近郊電車の発着で賑わっていた。1933年には交通統制が行われ、サンタフェ鉄道、ウエスタンパシフィック鉄道の列車も、ここサザンパシフィック鉄道のオークランド桟橋駅に発着するようになった。その後、サンタフェ鉄道は1937年に自社のオークランド駅からベイブリッジ経由のバス連絡に転換、サザンパシフィック鉄道、ウェスタンパシフィック鉄道も
1958年にベイブリッジ経由のバス転換され、船車連絡が廃止となった。
サザンパシフィック鉄道のサンフランシスコ湾連絡船(左:絵葉書、右:1994年)
サンフランシスコのフェリーターミナルとサザンパシフィックのオークランド桟橋駅を結んでいた。 今もその一隻”バークレー(Berkeley)”がサンディエゴ(San
Diego)に残されている。
構内にあったサザンパシフィック鉄道のエンブレムがサクラメントの鉄道博物館に保存されている
。
オークランド桟橋駅
左:線路側(Night Trains, by Maiken, 1989)
左:船側(Rails to Sanfrancisco Bay, by Demoro, Sappers, 1992)
SP_Lake Taho Route 1926
SP Alameda Pier