スーライン
スーラインの生い立ちは、ミネアポリスの製粉業者の働きかけによって始まった。
北西部の小麦の消費地の米国東部への輸送は1870年代はシカゴ経由で行っていた。この区間を利用したときの輸送料金がかなり高かったため、新しい鉄道を建設して東部への安い輸送経路を確立しようというものであった。新しい鉄道は名称を「ミネアポリス・スーセントマリー及びアトランティック鉄道(Minneapolis, Sault Ste. Marie & Atlantic)」となり、1884年より建設が開始され、1887年までにミネアポリス郊外のタートルレイク(Turtle Lake,WI) - スーセントマリー間の全線を開通させた。スーセントマリーからはカナディアンパシフィック鉄道が支線を建設して、モントリオールへの本線と接続して合衆国から独立した経路で合衆国東部への直通経路を完成させた。また、ミネアポリスの工場で製粉される小麦をダコタ準州から運ぶための鉄道「ミネアポリス及びパシフィック鉄道(Minneapolis & Pacific)」も設立されて、ダコタ準州までの鉄道を開通させた。
1888年、これらの2つの鉄道会社、MSSM&Aとミネアポリスとの連絡鉄道として建設された短距離の「ミネアポリス・セントクロイ鉄道(Minneapolis & St.Croix)」と路盤建設だけに終わった「アバディーン・ビスマーク及び北西部鉄道(Aberdeen, Bismarck & Northwesten)」の合計4社が合併して「ミネアポリス・セントポール及びスーセントマリー鉄道(Minneapolis, St.Paul & Sault Ste. Marie)」が誕生した。
1893年にはダコタ準州の路線をカナダ国境のポータル(Portal,ND)へ延長して、カナディアンパシフィック鉄道との第二の連絡路が完成され、1904年にはダコタ線上のグレンウッド(Gllenwood,MN)からカナダ国境のノイス(Noyes,MN)への路線が建設されて、
ウニペグ(Winnipeg,Man)で第三のカナディアンパシフィック鉄道との連絡が完成された。
1907年にはブルーテン(Brooten,MN) - ドゥルース(Dluth,MN)間の短絡線、1910年にはプルマー(Pulemmer,MN) - ムースレイク(Moose Lake,MN)間のメサビ鉄山地帯(Mesabi Iron Range)を貫く路線を開通させた。
1909年にはセントポール - シカゴ間の「ウイスコンシンセントラル鉄道(Wisconsin Central)」をリースしてシカゴへの直結ルートを完成させた。ウイスコンシンセントラル鉄道は1911年にはドゥルースへの路線を完成し、1921年にはミルウォーキーの北、ウイスコンシン及び北部鉄道を買収して、スーラインの路線網ができあがった。1961年には、ドゥルースからスーセントマリーへの「ドゥルース・サウスショアー及びアトランティック鉄道(Duluth, South Shore & Atlantic) 」と、「ウイスコンシンセントラル鉄道」、「ミネアポリス・セントポール及びスーセントマリー鉄道」の3社が合併して、「スーライン鉄道」が誕生した。
1985年には倒産した大鉄道会社「ミルウォーキー鉄道(Milwaukee Road - Chicago, Milwaukee, St.Paul & Pacific)」のミネアポリス - シカゴ間を買収して、アムトラックのエムパイヤービルダーも走らせている。しかし、シカゴへの最捷路を獲得した後は、ウイスコンシンセントラルから得たシカゴへの路線の経済的意味が減少して、スーセントマリーへの元来の路線と共に新生「ウイスコンシンセントラル鉄道」に譲渡して、ツインシティーズ以東は旧ミルウォーキー鉄道の路線のみを運行している。
Minneapolis, Sault Ste.Marie & Atlantic RY
Minneapolis & PacificRY
Aberdeen, Bismarck& Northwestern RY
Minneapolis & St.Croix RY
Wisconsin & Northern RR
Minneapolis, St.Paul & Sault Ste.Marie RY
Wisconsin Central RR
Duluth, South Shore & Atlantic RR
Soo Line Corp.
Portal
S.S.Marie
Duluth
Thief River Falls
Winnipeg
Moose Jaw