<グレートノーザン鉄道のウィニペグ連絡>
セントポールで1862年初運転を果たしたセントポール・パシフィック鉄道(St.Paul & Pacific Railroad)は、北部大陸横断鉄道のパイオニアのノーザンパシフィック鉄道と協調を保ちながら、ミネソタ州、ダコタ準州に路線を拡大してきた。カナダ国境のセントビンセント(St.Vincent)へはセントクラウド経由の本線の延長で1879年完成し、前年に開通したカナディアンパシフィック鉄道がウイニペグへの連絡をとった。またこの年、会社名をセントポール・ミネアポリス・マニトバ鉄道(St.Paul, Minneapolis & Manitoba Railway)と改称して、同時にレッドリバー・マニトバ鉄道(Red River & Manitoba Railroad)とレッドリバー渓谷鉄道(Red River Valley Railroad)を買収して延長530.35マイルの鉄道となった。
GN線ウィニペグ方面
GN Route to Winnipeg
1880年からは、セントクラウド方面からの本線上のバーンスビル(Barnesville)から、ノースダコタ州最大の都市ファーゴ(Fargo)を経由して、レッドリバーに沿って北上する第二のカナダ連絡線の建設が始まった、国境のネッケ(Neche)に到達したのは1882年、ここでもカナディアンパシフィック鉄道でウイニペグに連絡していた。ウィルマー(Willmar)からの本線上のワーペトン(Wahpeton,ND)からムーアヘッド(Moorhead, MN)への1887年に開通した短絡線を通って、ファーゴ、グランドフォルクス経由、ネッケ・グレトナでカナディアンパシフィック鉄道に連帯する経路がまたの名を”マニトバ・パシフィック経路”とよばれ、カナディアン・パシフィック鉄道との直通運転により、大陸横断列車のルートとなった。しかし、グレート・ノーザン鉄道の自社路線でのシアトル到達によって、1893年には、大陸横断直通運転は廃止された。1888年開通したノーザンパシフィック鉄道のウニペグ支線が1901年カナディアンノーザン鉄道の所有となり、グレートノーザン鉄道の連帯相手として利用できるようになり、二つのルートでのウィニペグ連絡が続き、晩年の直通優等列車はこの経路を利用することになる。また、カナディアン・パシフィックの最初の開通路線、エマーソンへは1904年にカナディアン・パシフィック鉄道系列のスーラインが開通して乗り入れるようになった。
1910 Geat Northern, Official Guide
エマーソン/CPR経由とグラフトン/CPR経由の両ルートで列車が走っている。